まずは、ご訪問いただきありがとうございます。『自己受容で叶えるしあわせらいふ』(以下、『当ブログ』)では、長い間、自分をなかなか好きになれなかった私が、どのようにしてこれまでの人生を歩んできたのか実体験をもとに発信していきます。
このブログを読むのにおススメの人
・自分の好きになれない、もしくは自分のことが嫌いな人
・自分を好きになりたいと、ほんの少しでも思っている人
・心身の不調がある人
・今の生き方をほんの少しでも変化させたいと思っている人
以上に当てはまる方は、当ブログの記事を読んでいただけると幸いです。
どのような理想でブログ運営をしているか?
単刀直入に申し上げると、『生きやすい人を一人でも多く増やしたい!』という理想が私にはあります。
私は、自分のことがずっと好きではありませんでした。今も、自分が大好きかと聞かれるとそこまでではありませんが、昔の自分よりかはかなり自分を大切にできていると思います。
この世界を生きていくにあたって自分のことが好きになれないと、とても辛い思いをします。そのような人がひとりでも減ってくれたらいいなと思い、ブログを始めました。
まずは、私のことについて、できる限り詳細に紹介していきます。
私の学生時代&数年間の会社員生活について
私は、小さなころから周囲から〈個性的〉〈変わっている〉〈マイペースだ〉とよく言われる女の子でした。
幼稚園~小学生時代の私について
幼稚園時代の好きな食べ物は、『ピーマンの肉詰め』で、好きな遊びはリカちゃん人形を全員同じオリジナルポーズで立たせて静止させるというもので、友達はなかなか出来ませんでした。
そして、幼稚園のお弁当の時間がとても嫌で、『いただきます』をしてもお弁当の蓋を一度も開けないでそのまま帰るという…、かなり頑固な性格です。それは今もあまり変わりません(笑)
小学生になると、ますます集団生活に馴染めない日々が続きます。
相変わらず友達はあまりいなくて学校以外の時間は、家で小説や詩を書いたり、一人でお店屋さんごっこ(お客は母親)をしていました。母曰く、小説は意味不明なものばかりだったようです。
私は出来れば学校に行きたくありませんでしたが、両親がそれを許しませんでした。
数十年前と比べると、現在はフリースクールや通信制の学校が世間にかなり周知されていますが、私が学生の頃はまだそのような制度は少なく…、『学校に行けなかったらどうするの』と責められる一方でした。
幸いなことに小学生の頃は一緒に学校に行ってくれる友達が一人だけいたのです。その友達と一緒のクラスになったのは、2~4年生の3年間だけでしたが、私がいじめを受けていた5~6年生の2年間も一緒に通学をしてくれたので、とても有難かったです。
いじめの詳細は書きませんが、クラス内では孤立し、一部の女子グループから、物理的&精神的な嫌がらせを受けました。辛すぎる記憶なので、思い出したくない…そして忘れてしまっています。
今でも学生時代のことが夢に出てくることがあり、『あの頃は辛かったな…』と朝起きると泣いていることが稀にあります。
中学~高校~大学生時代の私ついて
中学に入学すると、環境がガラッと変わりました。たまに陰口を叩かれることがありましたが、そんなことは中学1年生の頃だけでした。小学生の頃よりも友達ができ、そこまでの苦痛はなく乗り越えられました。そしてこの中学生時代に、大人になった今でも交流があるほどの大親友が出来ました。
高校は、親の勧めで県外の高校に入学しました。同じ中学からその高校に行った女の子は一人もいなかったので、またゼロからのスタートです。
高校1年生は同じクラス内で友達が出来ましたが、その子は段々と不登校になっていき、入学してから3か月後に退学してしまいます。その子としか仲良くなれなかった私は、クラスで孤立しました。
ですが、隣のクラスに仲の良い友達が二人も出来たり、その頃通っていた学校内のスクールカウンセラーで知り合った女の子と、とても仲良くなりクラスでは孤立していた私でしたが、なんとか1年生は乗り越えられました。
高校2~3年生は、クラス替えをして仲良しの友達が二人出来ました。女子の三人グループは苦手だったのですが、彼女たちと過ごした高校生活は楽しかったです。
大学に入学すると、今までの学生生活とは違ったスタイルに最初は戸惑いました。
大学1年生の頃にサークルに入部しましたが、気の合う友達は出来なくて、ほぼ幽霊部員のまま2年間で退部します。最初の1~2年はシラバス作成や単位の取り方など、友達が居ないと分からないことばかりだったので、気が合わない相手でも気を遣って接していましたが、大学3年生になると友人関係も面倒くさくなり、ソロ行動をすることに決めました。
というのも話は少し逸れますが、この頃に拒食症になってしまい、授業を欠席することがだんだん増えていったのです。(※このことについては詳細を執筆予定です。)
幸いなことに、学校の単位にはそこまでの影響はなく、留年せずに4年間で卒業ができました。
大学卒業後~就職に至るまでの経緯
大学卒業後、新卒で会社に入社できなかった私は、既卒で就職活動をします。企業の面接に15~20社くらい行きましたが、どこにも決まらずに、いよいよ途方に暮れてしまいます。
そんな時に、母親から就労支援施設を勧められました。結果的に、その就労支援で図書館関連の会社に入社することになりました。
その理由について、少しだけお話します。
私の父親は昔から公務員生活に憧れていました。特に『図書館司書になりたい』と聞かされていて、私にその夢を叶えてほしいという願望を常に感じていました。ですので、父が望む高校や大学に進学し、大学で図書館司書の資格を取得しました。
私は本は好きですが、接客が苦手なので図書館司書になりたいとはなかなか思えなくて、事務職や倉庫の軽作業などで求人を探していました。
ですが、それらがなかなか採用されなかったので、最終手段として図書館系の会社を受けたという感じです。
大学卒業後、新卒で会社に入社できなかった私は、既卒で就職活動をします。企業の面接に15~20社くらい行きましたが、どこにも決まらずに、いよいよ途方に暮れてしまいます。
そんな時に、母親から就労支援施設を勧められました。結果的に、その就労支援で図書館関連の会社に入社することになりました。
その理由について、少しだけお話します。
私の父親は昔から公務員生活に憧れていました。特に『図書館司書になりたい』と聞かされていて、私にその夢を叶えてほしいという願望を常に感じていました。ですので、父が望む高校や大学に進学し、大学で図書館司書の資格を取得しました。
私は本は好きですが、接客が苦手なので図書館司書になりたいとはなかなか思えなくて、事務職や倉庫の軽作業などで求人を探していました。
ですが、それらがなかなか採用されなかったので、最終手段として図書館系の会社を受けたという感じです。
趣味
読書・健康管理・音楽(聴くのも演奏するのも好き)・ゲーム・電車など
まとめ
ここまで詳しく私のことを書きましたが、同じような性格で社会生活に困っている方や、将来の道に迷っている方などの道しるべになることができれば、このブログを開設した意味が生まれます。
誰かひとりでも、心を癒せたらいいなと思いますので、引き続き見に来て応援してくださると幸いです。
